少年愛

『メッシュ』以降崩壊するもののひとつ。『ニューヨーク・ニューヨーク』で主人公のケインがパートナーのメル(共に男性)についてこう語る場面がある。

同性愛を神への冒涜と考える者もいる 俺の母親は…神聖なものを何よりも重んじる
俺は熱心なクリスチャンってわけじゃないがその精神は色濃く継いでいると思う
上手く…言葉には出来ないけど 俺の内に…俺だけの
何か他者には触れられない神聖なものがあって…
そこに…彼(メル)が触れた こじ開けるでもなく 入り込むでもなく… ただ優しく…
羅川真里茂ニューヨーク・ニューヨーク』文庫二巻pp.128-129)

これはとても面白い示唆だ。つまり、24年組少年愛とは相手に何か神聖なものを見出す愛である。何故。『日出処の天子』において、厩戸王子は蘇我毛人に対して「わたしとともに苦界奥底(くがいおうぞこ)までゆけて/仏の玉響(たまゆら)のおとないを一緒に感じたではないか」と訴えかけるのか。何故『風と木の詩』において、最後にジルベールが空から舞い降りて「サンクトゥス 聖なるかな」が流れるのか*1。何故『トーマの心臓』においてユーリはオスカーにキリストを見、トーマとエーリクに天使を見たのか。そして前述したように、厩戸もジルベールもセルジュもユーリもオスカーもエーリクにも、母親の愛が欠乏している。
『メッシュ』においてもはや少年同士の愛は神聖なものではなく、彼は作中で二回異性と寝るし、二回男性にレイプされる。

*1:このシーンはたしか他のゲイ漫画にもよく使われていたような。とりあえず覚えているのは吉田秋生『カリフォルニア物語』。