1、父に反抗する時だけ主体的な少年主人公は男性的なあだ名を持つ

そもそもこの二人の名前が似ている。
メッシュ(本名フランソワーズ・アン・マリー・アロワージュ・ホルヘス)とアッシュ(本名アスラン・ジェイド・カーレンリース、養子縁組後はアスラン・ジェイド・ゴルツィネ)だ。母親によって名づけられたという点まで同じだ。メッシュは第二性徴が出てからグレはじめ、不良行為に走るようになる。そこで使った名前がメッシュである(ただし、メッシュと違ってストリート・キッズとしての素質がまったくなかった。盗めばしょっぴかれ、骨を折られた)。アッシュ・リンクスというのは灰山猫の意味を持ち、猫のように俊敏で頭が切れる彼のストリートでの通り名である。
彼らは将来に対しての明確なヴィジョンを持たない。
『メッシュ』は父との確執は最初の2話で描ききり、それからはメッシュ自身の自己不確定性の提出をひたすらに続け、最後にそれを母親の死の夢に感応させることで伏線として消化したことは以前述べたとおりである。その間メッシュは特定の職につかず、ミロンの居候としてなにもかもを賄ってもらっている。そんなメッシュは、娘役フランソワーズを演じていたが故に強姦去れる時に自分が「なにもできない だからこんな目にあうんだ こんな目にあって 当然だ(vol.3 p206)」と認める*1。作中で芸術家に見出され(メッシュという存在が芸術家の内なる欲望を喚起するのだ)、モデルにされるのも述べた通りだが、本人はそれを投げ出して帰ろうとすることが多い。
アッシュにも、英二に日本に来いと誘われて「…日本へ行っても――オレは何もできない 人の殺し方しか知らないからな(vol.8 p9)」と答えるシーンがある。そんな二人が唯一主体的になれるのは、〈支配する父〉に「反抗」する時だけである。

*1:何故、ここで母親の所為で起こった悲劇に対しては当然だ、と思うのかを知り、回復するのが一連の評論の目的である。