4、ギムナジウム的男性単一社会の崩壊/少年愛の消失

更に言及するならば、ここでのメッシュのせりふ「寄宿舎で暮らす子どもには」には大きな意味が含まれている。つまり、ギムナジウム的閉塞した男性社会はもはや彼にとって何らかの意味をもたらすものではない、ということだ。今まではまるで、ギムナジウムの中に本当の青春があり、出会いと別れがあるといったような作品が多く続いていた*1。だが、『メッシュ』ではその幻想は無効化され、さらに『BANANA FISH』ではアッシュをレイプしようとする奴らの巣窟・刑務所/彼を(バナナフィッシュ投与により)白痴化しようとする国立精神衛生センターとしてあらわれる。つまり、閉鎖された男性単一社会は彼をレイプ=支配するものとして表出するのだ。それは『残酷な神が支配する』にそのまま受け継がれる*2
また、少年愛と呼ぶべきものも姿を消す。ここでの少年愛とは、相手に神聖なものを見出す故に起こる少年同士の愛のかたちを指し、肉体関係の有無は問わない。メッシュが同居に成功する二人の男性は、不能のドルーと異性愛者のミロンである。メッシュは作中で二回、女性と寝る。そしてまた二回、男性と関係をもつが、それは両方ともレイプである。また、男性にむりやりキスをされる/襲われることも(ジェルダンとブラン氏とルシアンによって)三度あるが、これもまた本人の意思ではない。メッシュは完全なるヘテロセクシャルで、男性との関係はすべて暴力的に描かれる。アッシュにおいても同様で、幼い頃から男性にレイプされつづけてきた。それに対して決して屈することなく、むしろ男性からのレイプは彼の「反抗」を引き起こし、積極的な「戦闘」を引き起こす原因になった。また、初恋の話などから推察するに、アッシュは異性愛者で、英二に対する感情は同性愛ではない。

…お前たちは お前たちはいつもそうだ…
力で人を踏みにじろうとする
逆らうのが気に食わないといって支配しようとする…
…好きにするがいいさ 俺は誰にも支配されない
お前たちには負けない!
おれの魂をかけて逆らってやる!!
(『BANANA FISH』vol.10 p.233)

このシーンは、「支配」による「反抗」の発生をはっきりと捉えている。しなしながら、なんども繰り返すように、彼は逆らうことはできるが、何もないところで何かを自主的に始めることはできない。よって、彼を支配し犯し殺そうとするものこそが、本当は彼を生き生きと輝かせるという矛盾を孕んでいるのだ*3

*1:トーマの心臓』のラスト、『風と木の詩』の駆け落ち以降の喪失感、そして『摩利と新吾』のラスト

*2:少年魔法士』は、男性単一社会ではないが極度な閉鎖空間ではあり、その毒はやはりレヴィ・ディブランをレイプする。レヴィ・ディブランはそれを破ろうとする

*3:この矛盾を解消しようとしたのが『バルバラ異界』と『イヴの娘』だ。