5、英二による〈母〉の代行――BANANA FISHのみに関するテキスト

BANANA FISH』は、男娼上がりの天才不良少年アッシュ・リンクスと、とりわけ目立ったことがないが純真で見返り無くアッシュを愛する奥村英二の心の交流を描こうとする。そこで、奥村英二がまるでアッシュの〈母〉を代行するようなシーンがある。フェリーの上での、アッシュの母親に関する会話だ。

アッシュ;
オレの母親もよそ者だった 
ケープ・コッドに夏のあいだ避暑にやってくる都会の人間の一人だった
N・Yからたった500キロしか離れていなくても
―――それでもやっぱり田舎なのさ 逃げ出したくなっても無理はない
英二;
……お母さんは君と別れる時とてもつらかったと思うよ
アッシュ;
そうかな
英二;
そうさ
前に話してくれた事があったじゃないか 君の本当の名前
――“アスラン”っていうのはお母さんがつけたものだって
ちょっと変わった名前だよね…何か意味があるの?
アッシュ;
古代ヘブライの祈りの言葉なんだってさ
“暁”という意味だそうだ…オレは夜明けにうまれたんで
英二;
じゃあミドルネームの“J”は?
アッシュ;
翡翠(Jade)”
英二;
そら 言ったとおりだろ
お母さんは一生懸命その名前を考えたんだよ
夜明けに生まれた君の幸せを願ってさ
君の人生が夜明けの翡翠みたいにすばらしいもので
あってほしいって――そう願ってその名をつけたんだよ
そういう人が君を愛してないなんて事ありえないよ
アッシュ;
じゃあどうして…
英二;
え?
アッシュ;
いや…きっとそうだったんだろう(『BANANA FISH』vol.7 pp.128-131)

〈認識行為〉の発端となるのは〈何故〉という問いかけであり、その行為を「封印」するためには〈何故〉という問いを「封印」してしまえばいい。アッシュはここで、前出の一度5巻で英二が証言していた自分を捨てた母に対する無自覚な憧憬をもういちど問い直す。しかし、英二は何の確信もなくそれを補強し、肯定する(Jadeはライト・グリーンのアッシュの目の色から来ていると思われ、英二の説明はいささかこじつけ気味ですらある。夜明けの翡翠の意味が単純にわからない)。そして、英二はアッシュが夜中傷つき求めていた〈母〉に限りなく近い存在になっていく。ショーターを殺した悪夢にうなされて起きたアッシュをなだめるのは最早〈母親像〉ではなく英二その人だ。そしてアッシュは英二の前には脆くも崩壊する。

アッシュ「そばにいてくれ 今だけでいい」
英二  「ずっとだ」(『BANANA FISH』vol.4 p.237)