少年主人公は〈淫乱呼ばわりをされる子を捨てた母〉に憧憬を寄せる

メッシュの母はメッシュが2歳の時に別の男と逃げ、それは、父がメッシュを疎む直接の原因になった。アッシュの母は、アッシュの兄であるグリフィンの母を追い出したが、アッシュを産むとまた別の男と逃げた、アッシュも認める「あばずれ(vol.2 p.228)」で、やはりそのことで父はアッシュを表面上疎んだ態度を見せるしかない(後の養父ディノ・ゴルツィネがではなく、本当の父親ジェームズ・カーレンリースが、だが)。
それにもかかわらず、二人は母のしたことを責めない母親という存在は、彼らが必要し憧憬する(ゆるやかに同一化を目指す)存在として描かれている。

で オレの母親像は見事にズタズタさ
母親が聖女だったとはいわないよ だけど寄宿舎で暮らす子どもには……
必要なものだってあるんだ
(『メッシュ』vol.1 p.19)

ぼくは何度もきいた 夜 きみがうなされる声を
子どものように手足をちぢめ きみは助けを求めていた
“かあさん”と…
(『BANANA FISH』vol.5 p.235)

両方とも母親の記憶をほぼ持っていないにも関わらず、母親に対しては無条件の肯定がある。そして<母親像>を自分の助けにしている。