退院して働いています

発病後の人生はプロとコントラ

  • 軽い症状で良かったと思う心と、重い症状になっても折れないよう、それを受け入れる心
  • 勉強して何もかもを理解したいと思う心と、気にせず自分らしく生きようと思う心
  • 今まで通り働きたいと思う心と、薬がどんどん変わっていくので微細な変化についてこれず戸惑う身体
  • 発症して人生が変わって、一瞬一瞬を大事に生きられるようになった感謝と、それに気付かない幸せな人々への不思議な感情

一日の中で、心も身体も揺らぐ。

退院まで

入院15日目。
早ければ2週間で退院となっていたため、既に診断結果は出そろっている。保険関係の手続きとかも色々あるので、この時点で診断書を出してもらえる方が有り難く、主治医から診断結果を聞く日となった。
この日は体調が極めて悪く、久々の目眩を昼食時に経験した。
診断結果は予想通り。家族はショックを受け泣いていたが自分は一つ一つ細かい点を確認し、色々な事が解るたびに目の前が晴れて行く思いだった。なぜか視神経に症状はないのに、視神経の伝導の検査がほんの少し良くなかったらしい。またオリゴクローナルバンドが陰性だという。主治医と私の意見が治療方針について合わないが、この時には即時治療を始めたいという思いが、出たばかりの新薬を待ちたいという気持ちと鬩ぎ合っていたため気にならない。家族は私が2度説明するのが大変だろうと来てくれたらしいが、どうも病識が自分とずれ始めたのを感じる。
資料を貰い、保健所に申請に行き、そのまま外泊。

入院16日目。外泊の続き。資料をプリントアウトしたりと忙しい。目眩やしびれがスパッとよくならなくて嫌になる。

入院17日目。パルス3クール目開始。終了時から現在まで、目眩は発生していない。さらに、足の痺れもほとんど消えたと言ってよいと思う。ステロイドの副作用で寝付きが浅いため、朝早く起きすぎて、10時頃ウトウトしていたら回診があり、いきなり治療方針の説明をされて戸惑うが、昨日と同じように新薬の話をして、急がない事を伝える。その時はたまたま病気の勉強をしていなかったのだが、回診の御付きの人たちは、机の上に山積みになった資料をみて何やらひそひそ言っている。

入院18日目。パルス残り2日。この日は友人が来てくれたので、バビンスキー反射の左右差などを見せていたが、これが後々いい結果となる。退院するまでに質問をしなくてはならないと思い、詰め込みで色々と勉強をする。退院までに主治医に一度話させてくれとナースさんに伝言を依頼する。

入院19日目。退院日。朝早速主治医が面会の機会を作ってくれる。私は医学書で学んだ結果、症状から逆算して、MRIに映っていない部分に病変があるのではないか、MRIはCTより有能なだけで、万能ではないのではないかと質問をした。主治医の返答は、「仰るとおり」で、「MRIは万能ではな」く、責任病巣の特定は「症状優先」とのことだった。わたしは大脳の病巣がMRIで見つかったので入院したのだが、前のエントリにも書いたとおり何故かIQ130という結果が出て大脳には症状は出ていなかった(大きくて使用してない部分が多いので症状が出にくい)。結局のところ責任病巣は、MRIが混んでいて入院1.5週後に撮影した某箇所、そしてMRIに写りもしないもう一箇所であった。握力を左右3度測ったが、入院前と同じ、全く問題なし。ただし結局腱反射は左右ともに亢進したまんまだということだった。主治医は自分の膝を叩いてみせた。私以上に反応している。「首悪いひとは皆亢進するんですよ」って何か、あなたも何かしらの病気だったんですか。じゃなきゃこんなマイナーな科で医師になろうとは思わないでしょうね。まるで中島らも『今夜、すべてのバーで』みたいな展開。結局私と意見が合わない所は、むしろセカンドオピニオン的な意味を持ち極めて有り難かったし、どんな質問にも答えてくれ、こちらの言い分を理解してくれる良い医者であった。
昨日友人が帰ったあとに点滴のルートを取った部分が内出血していた。そこで本当であれば凝結防止剤を入れてみて、ふくらみなどがあれば刺し直しとなるのだろうが、内出血があるのにいきなりステロイド投入。「いたたたた!」瞬間的ではあるがルンバールより痛かった。2秒くらいか。すぐにステロイドは止められたが、黄色いアザはその後2週間ほど消えないのであった。血管をどこかで通り抜けてしまっていたらしく、別の部位に刺し直しとなる。自分は注射や点滴にはとっくに慣れてしまっていたので、むしろ早く刺し直してほしかった。この日を境にバビンスキー反射の左足の異常もなくなる。現在も足に違和感を感じたら真っ先にするテストで、幸い異常は出ていない。
その後病院一階に会計に行き、10万ちょっとを搾り取られた後、荷物持ちの家族と帰宅。とはいえ4回も外泊していたので特に感慨はなし。そして翌日からしれっと静地療養と称して国内旅行に出る懲りない私なのであった。

退院+23日目。
いい加減Frozenについてブログを書きたくなり、その前に入院記を終わらせる事とする。