『邪魅の雫』をなぜつまらなく感じたのか、おぼえがき

ようやく読み終わった。

邪魅の雫 (講談社ノベルス)

邪魅の雫 (講談社ノベルス)

前作の『陰摩羅鬼の瑕』よりは断然マシだったけれど、やっぱりこれだけ読むのに時間がかかったのも、読み終わって特に感慨がないのも、とても「面白かった」とは言えない状況。個人的には『塗仏の宴』を読んだ時にもまったく同じような感じになったんだけど、塗仏はどちらかというと前半が面白く、邪魅は後半……というか、うしろ1/5くらいからちょっと面白くなる。
それにしたってえ、高校時代のわたくしの現代文の教科書(というか、その時間に読んでいただけなんだけど)、である京極堂シリーズが、3作4冊、続けて面白くないってえのは一体どういったことなんだろう。どうもこういう場で「つまらない」というと怒られることがあるので言っておくけど、お金を出して時間を割いて読んだもの、観たものを批判したい人なんて誰もいな……いや、いるかあ、いるなあ、一人知ってるわあ……まあ、わたしにとっては面白いに越したことはないんだけど。


邪魅の雫 大磯・平塚地域限定特装版 (講談社ノベルス)
まず主要なキャラクターがあまり出てこなかったのが馬鹿にされようが何だろうがつまらないと感じた一因だと思う。青木とか益田とか山下とかけっこうどうでもいいんだよねえ、青木と益田はなんか被るし、益田は鳥口とも被る。木場修・関口・京極堂が要所要所にしか出てこない。榎さんも、登場のタイミングは非常に榎さんらしいのだが如何せん出番が少ない。
そんでもって今作登場する人物たちの世界観がイマイチ魅力的じゃあなかったのも個人的には気になった。ああ、そうそうさっきから個人的な話しかしてないけど、京極読者の方なら分かってくれると思う。こういうふうに個人の認識のズレの問題を京極作品は常にトリックというか、犯罪や謎の原因に据えている。それは漫画研究者としての自分のテーマと被るところがあって、そういう理由もあって好きな作家さんなのだが……。それにしても、画家のセンセの世界理解自体があまり魅力的ではないし、鉛の江藤の感覚もとくに共感も関心もなく通り過ぎてしまった……こんなことは初めてな気がする。それと、愚鈍である大鷹の描写の仕方が終始気になった……愚鈍である、混沌としている、ということをあそこまで明瞭に、客観的に語る語り口というのは何なのだろう。悪いことじゃあないんだけどね。
以下ネタばれるのとエロの話しかしないので畳みます。


まあでも、最大の問題はラストなんだよな。まず、私にはなんというか、澤井という存在がダメに思えたのだ。別にレイプがダメだって言っているんじゃあない、文章なんだからレイプでも切断でも眼球刺すでも何でもしてよろしい。しかし、京極作品は、澤井のような人物の描写をあの程度で済ませてしまえるような世界を構築してきただろうか? 答えは否だ。京極夏彦は、今まで強姦、ぺドフィリア、親近姦、乱交、売春、覗き見、異父姉妹、ホモセクシュアルなど、いわゆる異常性欲や、世間的にはおかしいとされる性交をそれなりの真摯さをもって描いてきていたと思う。今回の事件では、それぞれにそれぞれの物語があった、だとすると問題はそれを「どこまで語るか」ということになる。でないと物語は永遠に続いてしまう――。
それでも澤井を切ったのは失敗だった、とわたしは考える。というか、私はそんなに沢山の人を強姦して(そんなに何度も強姦を成功に持ち込むテク??には嘘っぽさがあるが、まあいい)、あまつさえ脅すという人間の心理がまったく理解できないのだ。何人も強姦した人の話ならどこかで聞いたことがない気もしないが、それでいて通報も逮捕も検挙もされず、そして相手を脅すという、社会的/人間的なありえなさが私を一気に白けさせた。
最後の最後。今回嘘をつくことで事件の原因となった人の、榎木津に近づきたいという欲望がこれまた理解できなかった。榎さんは、自分でいっているけどありゃあ神みたいな存在で、まあわたしもかなり好きなんだけど、でも榎木津に対しての欲望はまったく異質。これが一番のポイントかもなあ。
ま、エロティシズムは大切に、ってことで。


ラストのオチが幽☆遊☆白書な一冊。