父の殺人という自己肯定、母による肯定のための自死

【画像3】を見ていただければわかるように、メッシュは自分を一度は否定し、その後もう一度認めたともいえる父に対して殺意を剥き出しにするのに対し、自分を捨てた母への憧憬のようなものを口にする。一方、殺人に失敗したメッシュ【画像1】は、死んでも父を殺したいという。このように、最初の父殺しエピソード、「メッシュ」と「ルージュ」の二話において既にメッシュの中で不思議な自己矛盾が存在していたことは指摘しておかなくてはならない。といっても、【画像1】の次のページ(参考画像)では、メッシュが本当は父親からの肯定を求めていたのだ、ということがわかるのだが、ここで語られる幼い日のメッシュの姿を見ればわかる通り、彼は十四歳以降の父親の対応を責めているのではなく、それ以前のもはや取り返しのつかない失われた日々を回想している。そしてその解決方法には父親の殺害しかないと思い込んでいるのである。


【画像5】
一方、戦闘によって表れる筈の〈主体のようなもの〉すら、母親の前では音を立てて「瓦解」してしまう。最後のエピソード「シュールな愛のリアルな死」でようやく登場した母・マルシェの為にメッシュが取る行動は、父に対するそれと綺麗な対象をなす。二歳の時以来の再会となる母親は心を病んでいた。そして自分にはフランソワーズという女の子がいると思い込んでいたのだ。そのためにメッシュは女装するのだが、母親には女装だということが見抜かれてしまう。それどころか、メッシュは、母親の為にした女装の所為で村の不良たちに強姦までされてしまう(参考画像)*1「与えられた役割」(vol.3 p219)を「セリフを決められたしばいをやるみたいに」演じ、強姦までされたメッシュはその悔しさを腹違いの兄にぶつけるが、ここでも何故かその批判は心を病んで夢の中にいる母には到達しない。メッシュはミロンの前で、「人間から生まれたくない あんな女は知らない」とつぶやきもするが、そのような「小さな反抗」は、ラストシーンにおいて、「全て飲み込まれてしまう」。




【画像6】

千のハサミ
切りきざむ ハサミ
あなた
そうと 望むなら
花にも
鳥にも
魚にも
この姿を変えたのに
たとえば千の死体にも*2





【画像7】
【画像6】、【画像7】において、メッシュの母マルシェは、彼女の謎の勘違いによってメッシュをハサミで殺そうとする。そして、そこでメッシュはその死の夢に同調する。自分を「支配し拘束し圧殺する」とメッシュが表現した父の与える死に対して猛烈な〈反抗〉を示して見せたはずのメッシュは、母親という存在の前では、ほかの人間よりも芸術家よりもよっぽど簡単に、〈自己の不確定性〉を「預けてしまう」。

メッシュは決しての思い通りのイメージを〈自主的に〉選択していったわけではない。しかし、今まで自分をしっかりと見据えてくれなかったが、最後の最後で自分の中に見たもの――千の死体――になるために、メッシュは千のハサミに切り刻まれることを受け入れてしまった。メッシュの腹違いの兄の静止と、ミロンの助けによってメッシュに千のハサミが突き刺さることはなかった。メッシュは夢見る少女のままののことをこう回想する。その中に、何故メッシュがこのような行動をとったのか(もしくは逃げるという行動を取らなかったのか)のヒントが隠されている。


遠い人──
そして彼女に近づこうとすればするほど
自分自身は見失われていく
人間世界をつなぐ糸は断ち切れて
切れた糸をまきつけて彼女はマユを作っている

遠くで見つめることしかできない

あなたがそうと望むなら
魚にも
草にも
娘にも
この姿をかえてもよかったのに

それは愛ではないにしろ

彼女は「人間世界をつなぐ糸は断ち切れて切れた糸をまきつけて彼女はマユを作っている」、「遠い人」として表現され、「彼女に近づこうとすればするほど自分自身は見失われていく」と書かれている。つまり、今まで「与えられる役割」をゆるやかに拒否してきたメッシュは、今回に限り彼女に「近づこうと」した結果、として「自分自身を見失」った、というのである。しかし、同じように役割を与えようとした父親に対しては激しい〈反抗〉を見せたのに対し、彼を少女に仕立て、強姦される要員をも作った母に対しては全く反対の反応を見せたのか、という疑問に答えはない。ここではただ、〈マユを作っている〉母によって、〈自分自身は見失われていく〉という二つの事実、二つの要素が、ポン、と提出されているだけだ。ところが、この二つの要因――私流に言うところの〈認識行為〉の「封印」と〈主体性〉の「封印」――はこれ以降少女漫画においての〈母〉モチーフに大きな影響を及ぼした。そして、その回答、なるしまゆり少年魔法士』第三部、「パッション・フラワーズ・ブルー」(1999)において一応の解決を見て、萩尾自身の作品『残酷な神が支配する(1992)』の完結(2001)まで実に20年間ベンディングされることになる。


*1:24年組が作中で様々な性越境の実験を繰り返しはじめてから、女性として生きることの難しさから男装する少女の悲劇は幾度か――萩尾望都『雪の子』の自殺した男装の少女エミールや、池田理代子オルフェウスの窓』で少女であることを隠すために医者を殺したユリウスなど――描かれてきたが、男装する少女に比べて登場頻度の低い女装する少年が、異性装の所為でここまで性的なダメージを受けたのはおそらく初めてではないかと思われる。

*2:言うまでもなくこの“千のハサミ”“千の死体”という表現は、二巻に収録されたエピソード「千の矢」から来ている。「千の矢」では、エトワールという青年による、その美しくもやや無神経な母からの脱出(ひとり立ちのこと)が描かれている。「耳をかたむけて」「千の矢」「シュールな愛のリアルな死」で出てくる現実を捉えられない美しい母親たち、そして「苦手な人種」での自分が人を殺したことすら理解できない美しい姉ポーラなど、萩尾がエッセイでかたった〈清く美しい〉姉のような存在の登場人物たちは、メッシュのテーマの一つでもある。萩尾は70年代、その存在を殺し、乗り越えようとしてきたのだが、今度は逆にそちらに殺人を背負わせ、彼女達の狡さを突く。その〈美しい女〉たちの描写を極端化したのが〈白痴〉のマルセリーナであるのだが……これで一本書けますな、トホホ。