「鈴木先生」の周辺がきな臭いのは何故か――鈴木先生のえこひいきについて

鈴木先生 (1) (ACTION COMICS)
自分でもどこで読んだのか忘れたけれど、ちょっとした話題になっている「鈴木先生」を購入してみました。私の知る限り、「鈴木先生」について触れた文章はほぼ絶賛ばかり。「文芸漫画という、今は亡き路線を走ろうとする作者と作品の態度」、そして「教育の現場における問題を真摯に扱う姿勢」がその賞賛の対象です。その双方を期待して、アマゾンで大人買いしてみたのですが、うーん。こりゃまずい。 不躾ながら、半年とちょっと前まで「学生」側にいた私から、一言申し上げるといたしましょう(っつーか、ブログ始めた時は10代だったのに、時の流れは早いわねえ)。


鈴木先生の言う「こんな時代」って何?


問題はその一点に集約されるのではないでしょうか。

■1.鈴木先生のきな臭さ

鈴木先生 2 (アクションコミックス)
鈴木先生の周りが、橋本治風に言うならば「プンプン臭う」のは、もちろん等の鈴木先生本人が、なんだかいけ好かない野郎だからに他ならないのですが、この作品を読んで鈴木先生を悪く言う人はおそらく少数派でしょう。
第一に鈴木先生が作中で苦悶し悩乱し、これでもかというほど凡庸であることを読者に見せ付けていること。そして第二に鈴木先生自身が一部の教師や生徒から、そのあまりの良い先生っぷりに逆にいけ好かない野郎だと思われていることが繰り返し提示されること。その双方が、読者に鈴木先生がただのイイヒトでも真面目教師でもなく、むしろ等身大の人間なのだと思わせる効果を持っていることが、その理由として挙げられます。


私にとって、感情移入を超えてさらに驚きであったのが、生徒が教師の性欲の対象として具体的に出てくることであり、その不思議な存在感で多くの男子生徒に恋心を抱かれている小川蘇美とベッドインする夢を、自分ルールの中ならば鈴木先生が自身に許してしまっていることでした。このあたりの描写は、ある種の「リアルさ」と、そして読者に向けての「等身大さ」の提示に十分な役割を果たしているようで、いってみればあえて臭い部分を見せることで逆に好感を抱かせるための表現です。わたしもこの部分については特に否定しません(自分が小川だったら反吐が出るほど嫌ですが)。


問題はそのように繰り返し表現される鈴木先生の「人間臭さ」ではなく、鈴木先生の「きな臭さ」なのです。


鈴木先生は現在の彼女と出合った合コンで、彼女にこう語ります。

「いい子ばかり集まるとつまらないクラスになる…クラスを人間的に活性化させる中心はむしろ不良にある―――そんな現場的常識をぶっとばしてやりたい!」

どちらにもとれる台詞なので解説しますが、ここで鈴木先生が企んでいたのは「小川蘇美」という「いい子」をクラスを活性化させる中心とすることで、不良を中心に置かないクラス作りをすることでした(後の白井登場シーンからもそれは明らかです)。そのため(とゆーのを解ってないひとが多い)、鈴木先生は先生の中でも人気は1位ながら、ワースト3位になっているなど、「ひいき魔」「えこひいきが上手い」など色々と書き立てられているわけです。


小川の件にしても、転属した元同僚の関先生からキツイ一言を浴びせられています。

小川さんみたいな娘はね…どの世の中でも結局男にモテるのよ…どんな男たちにモテモテかわかる!? …世の中の他の男どもは元気印の明るいカワイイ子だのちょっとワルでいきがった子に夢中だけどオレは違う! 地味で暗くて誰も気づいてないだろうけどオレだけは彼女の良さに気づいてる! そんなふうにカンチガイした男がね…実はクサるほどたくさん…キモチ悪くコッソリと彼女をヒソカに思ってんのよ
あなたも―――そんな中の一人に過ぎないワケ!

白井や関先生の鈴木先生への手厳しい攻撃は、まさに「作者はわかってやっているんだな」と思わせる作用を持ちますから、おそらく誰も鈴木先生がきな臭いなんてことは思わないでしょう。



■2.今の時代が描けていない漫画が、今の時代が嫌いなことを表明する違和

鈴木先生(3) (アクションコミックス)

しかしながら、鈴木先生の根本は「現在の否定」にあります。
小川蘇美が自らの典型的日本女性の如き恋愛観を泣きながら吐露するシーンで、鈴木先生は心の中でこう呟きます。

こんな時代に少女の口からあんな言葉を聞けるなんて…オレはもう 今 逝ってもいいぜ!

小川蘇美と幼馴染である、新米の続木先生を見て、鈴木先生は心の中でこう呟きます。

サワヤカだけどイヤミにならない絶妙のバランス… 小川ほどではないけど――現代の日本にいるのがちょっと奇跡的な――


そう、鈴木先生はノスタルジーをこよなく愛す男です。
鈴木先生は、大学の仲間とジョークでループタイをしてみたり、長靴とポンチョを身に付けて雨の日登校する小川さんに大興奮するような人です(彼女は合コンでつくりましたけど)。
鈴木先生』に出てくる女子たちは、みんな今では誰もしていないようなパッチンピンをしていますし、☆とか○の形のチャームのついたゴムをしています。
鈴木先生の夢の中で、小川さんは前ホックのブラとスリップを着用しています。




この漫画のどこに、「今の時代」があるのでしょうか? 私が中学生だったのはもう10年前ですが、その時には上記のスタイルはすでにアウト・オブ・デートでした。わたしには妹もいますし、なんせ中学から徒歩3分のところに住んでいる所為で、今でも中学生と毎日出くわしています。
「こんな時代」を象徴する白井の言動は、鈴木先生自身が(悪気はないとはいえ)教育的実験の一環としてクラスから不良をはぶいた結果でもあります。それとも、鈴木先生のクラスで唯一金髪で、小4と性交して問題化した岬にも「こんな時代」を背負わせるのでしょうか? そうだとしたら、鈴木先生の「岬は有望な男」という語りは嘘になります。では岬が「こんな時代」を背負っていないというなら、一体誰がそれを背負っているんでしょうか?


結論が出ないので、私は率先して「こんな時代」を引き受けたいと思います。
だって私は後ろホックのブラとキャミソールを着ていますからね。


そして鈴木先生と『鈴木先生』に向けて、こう言ってやるのです。
「あんたにそんなことをいう資格なんてない。みんな一生懸命生きているんだ。文句があるなら、ALWAYS 続・三丁目の夕日でも見てろ!」


鈴木先生』は、これまた漫画の単行本として特異なことに、1巻1巻解説がついています。これが読者に一定の評価基準を与えてしまうと考え、あえて批判を全面に出した文章を書いてみましたが、『鈴木先生』は価格分の価値がある作品だと感じています。しかし、大きな疑問を与える作品でもあります。今後の刊行でその点が解決されるのを楽しみにしています。