8、母性からの脱出と母になる少年

大塚英二が「<産む性>としての少年」という論文を書いていたと知った時、かなり凹んだものだ。また先を越された、と思ったのである。しかしながら、私は現在2003年に生きていて、少女漫画は更なる進化を遂げていた。よって同様の題材で文章を書いても、また違ったものが出来る。だからこの文を書いてきた。

大塚の上記の論文をはじめ、多くの人物に指摘されるのが、萩尾望都スター・レッド('78)』『マージナル('86)』においての世界再生構造であった。『スター・レッド』において、主人公レッド・星は物語の3/4くらいのところであっさり死亡してしまう。そして終わり、星はヨダカという火星人の少年の身体を変容させ、子宮を作り、そこからもう一度生まれるのである。また、何度か話に出ていたエルグのほうは、魔のアミの星に取り残され、そこで精神を解放することによって魔の星を再生させる。『マージナル』においては、夢の子供キラ*1が地球の深部で地球と同じ夢を見て、不妊のD因子を壊滅させる。とまぁ訳がわからないと思いますが、要は3回の世界の再生が少年・少年・両性具有によって行われており、母性神話に回収されるのを避けている、という指摘である。
マージナルを描いたあと、萩尾望都は2年ほど沈黙し、その後『ローマへの道('90)』『イグアナの娘('91)』という母性を肯定するような作品を発表し始める。そして『残酷な神が支配する('92〜01)』を連載し始めるのである。
残酷な神が支配する』を私なりに解釈するとすれば、『トーマの心臓』と『メッシュ』のやり直し、である。その真偽はおいておくとして、その構造については、id:lepantoh:20031230においても指摘した。さて、私が問題にしたいのは、この物語のラストなのであるが、ここでもやはりイアンによる『生む』行為が行われていることに注目したい(産むじゃないよー)。このあたりの流れを整理すると、

  1. ベッドの上でジェルミがイアンに「ぼくを生んで」という。水のイメージ。水面に出ようか?というイアンに、ジェルミは「まだいい」と答える(16巻)
  2. 物語のラスト(17巻)、母サンドラの墓の前で、漸く自らの罪を告白したジェルミの元に、サンドラの幻影が土の下から出てきて、ジェルミに接吻する。ジェルミは墓を掘り返そうとしたあと、駆けつけたイアンの腕の中で気を失う。
  3. 目覚めたジェルミは「死んだ…」という。彼の肩にはサンドラの手がかかっている。真っ暗な世界で「ぼくは死んだんじゃ…」というジェルミに、「おまえは…生きてるよ」とイアンの手が差し伸べられ、光が差す。彼は「愛することを試してみてもいいだろうか」と愛を回復し、イアンは彼を生む。

つまるところ、イアンは「神」ではなく(昨日の日記参照)「母」になったわけである。ただしイアンは死んだり置き去りにされてはいない(キラとエルグ)。そして女性になるわけでもない(ヨダカ)。ヨダカに関しては、少年が星を孕む、という構造があるにはあるが、産んだあと髪の色も変わって、ヒラヒラレースの服なんか着こむ「少女」のようなお母さんになってしまう。それが当時の萩尾望都の限界で、そのような母こそが非少女を貶めるものだと気づいていない。*2よって、見てみぬフリをしていた、目の前で息子が父に犯されているのを見ても、「そう考えるのは罪だわ」なんていっているサンドラは、ヨダカの持つもう一方の面を示したことになる。そしてその「主体と認識行為を封印した少女」である母サンドラの「赦し=キス」は、ジェルミにとって死だったのである(メッシュと同様の構造)!ただしそこにはイアンがいた。萩尾望都の救済者の神の系譜の最後の継承者であり、またそこから脱出した最初の救済者。同時に母としての少年であり、かといえども「母」ではない。イアンこそ萩尾望都作品の革命児なのである。
また、id:lepantoh:20031226、吉田秋生サイコウ2において検証したとおり、アッシュもまたラストには英二(性器を持たない少年:内面は少女)の愛に包まれる(しかもそれは彼にとって支配ではない)。櫻の園やバナナフィッシュで見られる同性による回復は、少女/少年に向けられる性的な視線からの脱出の、最後の手段であるように思われる。
と、ここまで「少年」のイメージが飛躍したあと、次はどこへ向かうのだろうか?
私はなるしまにその答えを見る。今までレヴィについての話ばかりしていたのだが、今度は少年魔法士の主人公、カルノと勇吹の話である。

*1:キラは四つ子で、一人は赤ん坊のまま成長せず、他の三人は深層でつながっているという設定(一人が覚えると残りの二人も覚える)。これは物語中のイワンの子宮第二の脳論とあわせて考えると、キラ自体が子宮のメタファーとして浮かび上がってくると指摘したのは藤本さん。

*2:萩尾望都は漫画ばっか描いていないで結婚しろと言われ続けたそうだ。それこそ戦後の「良妻賢母生産体制」であり、そこから抜け出そうとする非少女・萩尾にとって、少女的な母というのは脅威である筈なのだ